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合わせ鏡


















「……匂うな」

 山から戻った深夜。
 独り私室で、報告書と向き合う。

 一般人に『力』を与え、狂気に堕とす刀――妖刀。

 そして同じく。

 一般人でありながら、能力者に対抗しうる『力』を持つ者たちが集う闇の祭典――。

「これは、本当に『別の事件』として扱って良いものなのか――」

 誰知らず独りごちる。
 だがそうだろう。
 時を同じくして学園が嗅ぎつけた二つの事件。
 これらは見比べてみればあまりにも。
 あまりにも酷似し過ぎているではないか。
 その核に存在するのはどちらも『一般人へ力を(そして狂気を)与える刀(メガリス)』なのだ。

「…俺たちが辿りついた時、果たしてそこに見える景色は……ひょっとしたら、同じものになるのやもしれん――」

 夜半過ぎ。
 雨はいつまでも降り止まぬかのように、鎌倉の町を濡らしていた。
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by ryu-itirou | 2008-11-25 22:55 | 雑記
龍一朗、山を降りるの段



 さわさわと枝を揺らす風が髪を擽る。
 傍らには纏め終えた荷物、山小屋前の地面に直接腰を下ろして、やや色づき初めた葉を透かす、午後の日差しを浴びている。

 今日は23日の日曜日、山を降りる日だ。
 18日からの約五日間、途中何度も挫けそうになりつつも、なんとか予定通りの日程をこなすことが出来た。
 これから山は、里よりも一足早く、冬へと向かい始める。
 素人が頑張れるのも、一先ずこのあたりまでだだろう。
 能力者といえども所詮は人間。
 大自然の前ではその存在などあまりにもちっぽけ、多少死に難かろうが身体能力が高かろうが、結局のところは『たかが人間』である。

 さて、山篭りも最後のこの日。
 暖かな日差しを浴びながら、修行の日々を思い返して行くことにした。
 
 まず朝。
 普段どおりに起床、時計がない生活であるから時刻は不明、だが恐らくは何時もどおりの、身体に馴染んだ6時頃。
 寒い。
 布団の中に入っている体は兎も角、髪の毛は冷たく頭皮はキンと冷えている、そして肩口から布団の中へ忍び込んでくる冷気は山特有の身に染みるそれ。
 せいせいとした爽快感こそあるもののぶっちゃけ寒いの一言に尽きる、とはいえ壁の薄いこの小屋では致し方ないところ。
 寝起きは良い方だ。
 起き上がるとまず窓を開け朝の空気を胸に吸い込む。
 のちにヤカンに残った湯冷ましを湯飲みに一杯、時間をかけて飲む、飲みながら新たに甕からヤカンへ新しい水を汲んで囲炉裏へとかけ、おきとなった炭から再び火を熾していく。
 持って来たライターで荒く絞った新聞紙に火をつけ、小枝から薪へ、だんだんと火を大きくしていくのだ。
 勿論最初は上手くいかないことも多かった、だが此処――山では時間など大した意味を持たない、基本的に時間の流れがゆっくりと過ぎる。
 何度もやり直して、つけられればそれでいいのだ。そうして繰り返す内に、そのうちに上手く火を熾すことが出来るようになった。
 どうやら火を熾したあとは、冷え切った室内が暖まるまでの間に布団を畳み、念入りに柔軟を行う。
 起きた直後は誰でも身体が硬くなっている。
 ほとんど身体を動かさず、同じような姿勢で何時間も過ごすということが眠るということなのだから、それは当たり前のことだ。
 うっすら汗をかく程度に身体を動かしてやることで、初めて身体も意識も、目を覚ますことが出来るのだ。
 そうして身体を伸ばし、解していくと山に来る前はまずなかったことが起きていることに気付いた。
 筋肉痛である。
 特に下半身の痛みが強い、筋を伸ばしてやると鈍い痛みが走る。
 これは里と山の地形の違いのせいだ。
 里では、基本的に歩く場所の殆どが平地である。
 それに対して、山ではその殆どが傾斜している。
 普段使っていない、鍛えられていなかった筋肉が、悲鳴を上げているのである。
 武道、武術において下半身の練りほど重要な物はない。
 そう俺は教えられて来たし、今は実感としてそう思っている。
 山では常に登り下りを繰り返すことになり、また道すらなく当然地面は平らですらない。
 自然と足腰は鍛えられることになる。
 古来より修行のために山に篭ると言われているのも、それは納得のいく理由というものであろう、自然の理である。
 というわけで俺の身体も、普段鍛えることが出来ていない部分が自然と鍛えられたというわけだ。
 無理をした部分の筋組織が千切れることを筋肉痛というが、例えば骨折した部分の骨が、治ったあとには太く強くなるように、筋組織も筋肉痛が治ったあと――つまり千切れた組織がくっついたあと――には、より太く、強くなるのだ。

 柔軟の後にヤカンを外し、茶を淹れる。その後、今度は昨晩作っておいたた粥の残りを暖めなおして食う。
 基本的に常に身体を使うが故、消化器官は弱っている、粥は消化に良いのだ。
 米と共にクーラーボックスで持ち込んだ肉、野菜を煮込んだ雑炊だ、それを茶碗に二杯くらい食べる。
 一応味は塩や醤油、味噌と変えていたが――流石に飽きることもある。
 そういう時は多少変化をつける意味で、若いシダの芽やどんぐり、野生の栗などの渋みを加える、けして美味いものではないが間違いなく栄養源にはなるし、先に述べたとおり味の変化になる。
 実家に住んで居た頃には畑を見慣れていたので芋の蔓もすぐにわかった、野生の自然薯は栄養の塊だ。

 食事を終えると、山へ出る。
 思えば午前中は殆ど、山の中を歩き回って過ごしていた。
 杖や木刀などを手にただひたすら山を歩く。それも道などない木々の間をひたすら登っては下り、下っては登るのだ。
 それは恐ろしく歩き辛いものだった。
 やはり山は人の立ち入る世界ではなく、別世界なのだということが良く判った。
 映画やマンガで忍者がやるように山を走り回ったりするには余程の訓練、慣れが必要であろう。
 まず山の地面というのは様々な樹木の根が縦横無尽に這い回って絡み合い、きわめて複雑な凹凸を作っている。
 そしてその上に落ち葉が落ちて、長年の積み重なりの末に腐葉土となるわけだが…この腐葉土というのは大変に柔らかい、下手に踏み込めばずぶずぶとめり込んで行く上に、葉が重なり合ったそれは滑る上に足を取られやすいのだ。
 また栄養豊富な腐葉土は様々な種子を抱いて、多種多様な植物を育てる土壌となる。
 所謂、下生えといわれるその植物群を構成するのはシダや笹といった植物が主だが…その中にはありとあらゆる植物が含まれ、またそれが複雑に絡み合いながら成長していく、その下生えに足を取られぬよう乗り越えて歩くだけでも一苦労である。
 さらにその下生えに、潅木が加わる。
 倒れた木が視界を遮ると共に、一部は幹が下生えに埋まって見えなくなり脛にぶつかって来る。
 さらに網の目状に広がった枝が下生えと絡まり、足の自由を奪う、それが常に起伏する傾斜した地面の上に延々と広がっているのだ。
 正直に言おう、俺は下生えをこえて歩くので精一杯だった。
 歩いているだけでも大変に気力を消費し、何度となく何をやっているのかという気になることもあった。
 なのでそういう時には、戦いを意識して気を紛らわし、集中力を取り戻していた。
 視界内に敵を想定し、それら相手に手にした武器で、時に無手で対処することを意識するのだ、疲労によって疲弊していた体と精神が、あっという間に生き延びるべしと研ぎ澄まされて行く。
 下生えに潜り、木々へ登り、敵の視界から身を隠して技を振るう。
 そうして技を使おうとすると、まずそれが大変に出し難いものであることが判る。
 斜面が、問題なのだ。
 大抵の技というものは足を止めて行うものではない、歩法と手技が組み合わさって成り立つものだ。
 だが山林の中では、手にした武器は木々にすぐぶつかるし、体重移動を伴う技は斜面で行う場合、よりバランスや移動のための力配分が難しくなる。
 想定敵へ上手く技が出せなかった際は呼吸を整え新たに出し直す。
 足が滑った際にはどういう状態なのか足元を確認し、どう踏み込めば滑りにくくなるか逐一確認する。
 一度、10mほども傾斜を滑り落ちて行った時があり、その時は流石に肝が冷えた、文字通り死ぬかと思った、である。止まった後には妙な笑いが漏れたものだ。(笑)
 傍から見れば馬鹿馬鹿しいとすら思えることだろう。
 だがそれら全てを、納得いくまでやった。
 ある時などは休憩を挟みつつ、半日近く一つの技だけを出し続けていた、気付いた時には辺りがすっかり暗くなっていたのだ、山の中では木々の葉があるので、里より暗くなるのが早いのだ。
 だが練習に集中している間は不思議とそれが気にならない、視覚だけでなく、全身の感覚を使って動いているためである。
 そうして上手くいかない時間をすごしていてもなぜか楽しく、時に笑えてさえ来る。
 それは勿論自分への呆れではない、イヤになって出る苦笑でもない、一つ一つ自分の身になっている、クリアしていくことが楽しいために得られる、進んでやる苦労だからだ。

 さて、基本的に高低差のある地形での戦いでは、傾斜の下側になっている者が有利とされる。
 例えば同じ刀を持って向かい合ったとして、坂の上に立つ者の刃は下に立つ者に届かないが、下に立つ者の剣は相手に届くのだ。
 それは剣を持つ腕が、自分の身体の中では上部に位置していることに起因する。
 基本的に人間の身体というものは、上へは攻撃しやすく下へは攻撃し難い構造をしているのだ。
 下生えをかき分け、時に転がりながら坂を下る、その際は枝や鋭い葉で目などを傷つけないよう注意する。
 斜面の角度の違い、潅木の枝、下生えや石ころ、太い幹をもつ大樹の傍では根も太いので特に注意する。
 いや、それではまだダメだ。
 注意するでもなく、気を止めるでもない。
 自然と対処出来るくらいになることが肝要だということを、悟る。

 そして時によっては木々の枝を上を移動する方が早いことを知った。
 勿論、普通にやっていたら、数年間はこうした暮らしを続けなければそんなことは出来ないだろう。
 人間、地上では出来ることも、1mも高くなった足場ではまったく出来なくなってしまうものだ。
 所謂忍者の如く、余程の訓練なくして、木々の枝から枝へ飛んだり、歩いて回ることなど出来るものではない。
 俺もやってはみるものの、所詮はまだまだ付け焼刃、頭で理解していても身体がついてこない。
 物語の忍者がやるように木々のたわみを利用して木から木へ飛んだりとまではとてもいかなかった、それどころか足を滑らせて転落することも多々。
 …正直、山では常に能力を開放しておくべきだとその時悟ったものである。(笑)

 そんな日々を過ごしているわけなので、当然常に泥まみれ、ほこりまみれである。
 身体を洗いたいとも思うわけだが――そこでも能力者で良かった、と心底思えることがあった。
 本来ならば、桶を両手に飲み水、また風呂に使うドラム缶に水をためるために、毎日何度も小屋と渓流を往復せねばならないところだったろう。
 だが試してみたら――なんと、ドラム缶に直接水を満たして山小屋まで戻ることが可能であったのだ。
 これに気付いた時――俺の心の中でファンファーレが――天使がラッパを吹いたのは言うまでもない。

 そして、夜がやってくる。
 夜は夜で、山の影が持つ濃密な闇が襲い来る。
 木々のざわめき、小動物の足音、山では特に鋭敏にならざるおえない感覚にそれらが一々引っかかり、目を覚まさせる。
 寂寥感。
 不安。
 山の持つ霊気とでもいうべきものが、隙間風に乗って山小屋へ忍び込んで来るかのようだった。
 圧倒的な質量を持つ恐怖に打ち勝つためには火が役に立った。
 ざわざわと胸震える夜。
 目が覚めたら、真っ暗な部屋の中で静かに燃える炭の赤にじっと目を凝らすのだ。
 そうして、色々なことを考えた。
 過去のこと、今のこと、そして先のこと。
 それは自分のことでもあったし、武術のことでもあった。
 ゴーストの事も考えた、友人のことも考えたし、身内のことも考えた。
 考えるたびに意識は鮮明になり眠気が去って行くようだったが、どうせ時間に追われる生活ではないのだからと、好きなだけ思索に耽った、数日の間には慣れ、眠りこそ浅いものの寝不足になることはなくなっていた。
 例えば水曜日。
 日中、黙示録参加のために学園へ赴いた夜ですら、そうした寂しさに苦しめられるのだから…たった独りで過ごす山の夜の恐ろしさというものをよくよく思い知らされた。
 だが同時に、まったくやることのない一人きりの時間の大切さも、判った気がした。
 純粋に思索のためだけに使える時間の、なんと貴重なことか。
 現代人はとかく、何かに時間を奪われて過ごしている。
 テレビにインターネット、本や音楽等、常に誰かが作り出したもので時間を浪費して生きている。 時に持て余すこともあるものの、ひょっとしたらこうした時間はとても有意義で大事なものなのではないかと――そう、思うのである。

 時間は、有限なのだ。
 結局のところ、はっきりと悟ったことはそれかもしれんと考えつつ…もう一つ、悟ったこともあった。
 それは、自然の前では能力者も一般人もないということ。
 世界の持つ圧倒的な存在感の前では、自分がいかにも取るに足らないちっぽけな存在であるかを知ることが出来た。

「…ひょっとしたら、それをこそ悟るべく、先人達は山篭りをしたのかもしれん――」

 悟ってしまえば、それはごく当たり前のことだろう。
 だが、頭で判った気になるのと、実体験を経て体で悟ることはおそらく別物だ。
 爽快な、気分だった。

 そうして、山を降りた。
 山小屋は来た時とまったく同じ佇まいを見せて、俺を見送ってくれていた。
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by ryu-itirou | 2008-11-23 23:27 | 雑記
帰りたくなったよ




















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強くは なりきれないから




















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by ryu-itirou | 2008-11-19 23:42 | 画廊
龍一朗、山へ篭るの段



 某忍たま風に始めてみる。

 さて――タイトルの通りである。
 先だってのジョブチェンを期に、山へ篭ってみようという気になったので実行した。
 それは先に得ていた黒燐蟲使いの能力である蟲術、瞳術にさらに磨きをかけるためと共に――こたび初めて、本業、バイト揃って己が力を切り替えたことに起因する。

 そもそも、我々が得る能力とはなんであろうか?
 それは異世界からの脅威ゴーストと戦うための力であると共に、祖先が持っていた環境適応の結果だ。
 そして大元を辿れば、『かくありたい』という個人個人の願望の具現化に他ならない。
 その力は環境によって作られたもの。
 例えば大河あるところに文化が生まれ、またその環境、風土の違いによって育まれた文化がそれぞれ異なるものへと進化していったように、力も、それぞれが生まれた環境が異なるのだ。

 ならば――新たな力を得たのならば、それが生まれた環境へ身をおいてみるのが、正しく使い方を悟るための近道であろう、黒燐蟲使いも牙道忍者も日本の風土――山で培われた力である。

 とはいえサバイバルのプロでもない俺であるから、さすがに冬の最中は辛い。
 小学生の頃、夏休みに青柳の家のキャンプ(という名のサバイバル訓練)へ参加した時以来の山篭りであるから――まずは慣れるのが第一と、本格的に寒くなる前の今の時期に暫く篭ってみる気になったわけである。(と、言っていたら明日から一月の寒さになるという。…荷物の毛布を一枚増やそう)
 よって暫く大学の授業は偽身符任せ、月曜と水曜の黙示録には出るからその際に食料は買い込んでくれば良しと、鎌倉市外のとある山、その山道から道を外れて30分ほどの山中に存在する山小屋をツテを頼って借り受けて、食料を詰め込んだクーラーボックス、多少の着替えと共にやってきたのである。

 到着したのは昼過ぎ。
 小屋を見回すと、引き戸を開けてまずは土間、隅には汲み水用の桶に焚きつけ用の薪に予備の炭。
 ブリキの大箱の中には味噌や醤油、塩といった調味料、米。一抱えほどもある大瓶。
 上がり端の先は8畳ほどの板間で、真ん中に囲炉裏があり、そこに逆さにした鉄鍋が埃を被っていた。
 そしてやはり板間の端に布団が一組。
 なお、小屋の外にはブロックの足場の上に、やはり逆さになったドラム缶――これはようするに風呂である――ちなみに飲料水、風呂水も近くの渓流から汲んでくる。

「……必要にして充分」
 薪から火をおこすのは、実家でやっていたから慣れている。
 一つ頷くと腕まくりをしてまずは掃除に取り掛かる。



 ……おっと、その前にそのための水も汲んでこなくては――。
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by ryu-itirou | 2008-11-18 22:53 | 雑記
鎌倉市 大船――。



 某、ドラッグストアにて。























「…成る程、これがブラックモンブラン。略してブラモンか――うむ、これはなかなか♪」

 時事ネタ時事ネタ。
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by ryu-itirou | 2008-11-06 21:39 | 雑記
転職



 というわけで、少々転職の旅路へ出てみようかと思った秋の夜。
 座禅を組み、意識を己が身体の内へと集中する。

 体内の黒燐蟲の動きを活発化させ――自分の細胞、一つ一つまで彼らを染み込ませて行くイメージ。
 そうすると、彼らそのものが、自分の肉体になったかのような、そんな感覚を得ることが出来る。
 あとは簡単である。
 彼らはごく小さい固体の、寄り集まった群生体、人の身体も実は、ごく小さい細胞、そして原子一つ一つが寄り合わさって構成されている。構造自体は全く変わることはない。
 ただあえていうと…彼らは、一つの群れの細胞一つ一つでありながら、個それぞれで活動し、独自で動く力を持つ、ということだ。

 その力を、自分の細胞一つ一つにも与えてやる。
 
 その瞬間――俺の肉体は黒い、霧の如きモノとなって空中に胡散霧消する。
 黒燐憑依法。

 だが無論、他の生命を拠り所とせねば発露しえないこの力である。
 俺の身体は再び固体を為し、自分自身、凪龍一朗の身体を形作る。

 同時に、意識する。
 補助能力として黒燐蟲の力を使っていた以前より、より活性化した黒燐蟲達を押さえ込むための気魄が、わが身に備わったことを。

「…悪くない」

 微笑み、拳を握る。
 この国に古くから伝わる武術、それを受け継ぐ自分には、より向いている力も存在するかもしれない。
 少なくとも、それらを使ってみることは間違いなく無駄ではない。
 身体に馴染んだ王者の風を、いつかは再び纏うことにはなるだろうが――『そうしてみたい』と、思ってしまったのだからしょうがない。

 暫し、この力の旅路を、楽しむとしよう――。
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by ryu-itirou | 2008-11-01 19:25 | 雑記