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正月の過ごし方
30日朝、愛車カタナにて鎌倉を出発。

夜、自宅へ到着。

約10時間の道程、かかった時間は大体予想通り。

今年は朔が居り、どうせ行くところは同じだ、乗せて行け、というのでタンデムでの帰郷。

2ケツでは高速に乗れない(平成17年四月から二十歳以上、免許取得三年以上の運転手はOKだが)とはいえ、車の渋滞を物ともしないバイクならばそれほどの苦ではなく。

もっとも乗りなれないらしく後半はしきりに「…尻が痛い」と言っていたが…そこは仕様、ということで勘弁して貰おう。

到着し、祖父への挨拶もそこそこに寝る。

大晦日は慎ましく過ごし…明けて元旦。

祖父が教え子の方に貸している自宅敷地内の道場の面々、また親類縁者揃っての寒中初稽古である。

正月の過ごし方_e0095441_22362410.jpg

海岸での稽古の合間に初日の出を一枚。

その後皆で炊き出しの雑煮を食い、家に戻ると年賀状の書き足し分を祖父と手分けして書く。

終わると新年の挨拶回りである。

祖父について議員やら市長やら…また祖父も役員を務める古武道の協会関係やらの各方面の先生方主催の、お呼ばれしている新年会を回る。

まるで一日中飲み食いしている気になる。

まあそれは良い、まだ楽しみにもなる。

それに、こういった会のやり過ごし方は心得たものだ。

主催の人間は知り合いだが、会に顔を出している人間はさして知っている間柄でもない。

だが、主催者というものはえてして客への対応に明け暮れ、一度挨拶をしてしまえば客として来た此方の相手はしていられん。

よって、此方は挨拶をしてしまえばあとは暇なものである。

だが、だからといって早々に引き上げるわけにもいかない。

それは先方への失礼に当たるからだ。

なので此方は適当に時間を潰さなくてはならない、それもいかにも「楽しんでますよー」という顔を崩さずに、だ。

まずは食事、酒。

酒は未成年なわが身であるが、こういった席ではいい年をした男には回ってくるものだ。

適当にやり過ごす。

そして食事を楽しむ。

そうしながら、適当に話の合いそうな、また互いに踏み込みすぎず談笑できる人間をゲットする。

あまり此処で集めすぎてもいけない、会の主催者以上に人を抱えてしまって以前失敗したことがあるので注意である。

出てくる会話のほとんどは人の噂話である、だがそれも情報収集と思えば馬鹿にしたものでもない。

…とはいえ、お年をめした方々は何度となく同じ会話をしてくるのでそれには少々辟易させられる。

まあこうして時間を潰すわけであるが…当然、こうしていると知り合いが増え、会やら何やらと誘いを受けることが多くなるわけだが…それはそれで仕方なきことといえよう。

ところで最近多くなって来たのは、年頃の娘を持つ知り合いからの紹介である。

娘だ、姪だ、孫だ、ひ孫だと紹介されるのは良いのだが…そうしておいて、若い人には退屈だろう、庭でも見てきたらどうかね?などと二人きりにしようとするのはやめて戴きたいものである。

此方から消極的な態度を取るわけにもいかんし、どうせ地元にいない以上滅多に会わぬ相手。

自然、交わす言葉は似たようなものになり、片手では足りぬほどの相手と同じ会話をしているのは流石に苦痛である。

ま、こうして三日が過ぎるわけで――…笑顔を張り付かせているのも飽きて来るが…まあ正月とはこのようなものだ。

と、出先はそんなものとして、本家として実家で行う親類を集めての宴会も無論ある。

が…これはこれで、なかなかキツいものがあったりなかったり。

後悔先に立たずというがまさにそれである。

とはいえ、年の近い従兄弟や親戚などの中には話しのしやすい人間もいるわけで。

また、生まれた家が本家と言われる家であるがゆえか、やはり呼ばれるよりは招くほうが性にあうのだろう、まだ過ごしやすいとも思える。

そうして宴もたけなわというところで始まる正月恒例の従兄弟達との腕比べや、祖父に久々に稽古をつけて貰うのが、唯一の楽しみであったといえなくもない。

次に戻るのは盆になるだろうか。














――深夜。

もう省みられることもない、打ち捨てられたそれの前に立つ。

まるで初めからいなかったように振舞う彼らにはもはや何の意味もない石だろう。

ゆっくりと撫でて、名を呼んだ。

「ただいま」

そんな言葉にも意味はない。

ただの感傷である。

だが正月、普段とは違うのだから――少しだけそんな気になってみても構わないよな、と。

言い訳めいた言葉を、呟いた。
by ryu-itirou | 2007-01-03 23:28 | 雑記